【過去旅】とは
私、静村が「日本一周を始める以前」に行ったことのある全国各地を
当時撮影してあった写真と共に紹介する企画です。
ただし、当時の写真はガラケーや初期のスマホでの撮影のため、かなり画質が悪い場合もあります。
積極的に写真を撮っておらず、枚数も少なかったりしますので、雰囲気を感じる程度になるかもしれませんがご了承ください。
では、今回ご紹介するのはこちら。
高杉晋作 所縁の地(山口県下関市) -2012年01月21日-
2012年の1月、仕事の関係で山口県の下関市に訪れました。
金曜日の仕事だったため、そのまま自費で土日を観光に回していたようです。
当時はあちこちまわっていましたが、基本的には駅と事務所を往復しているばかりで、観光をしていたのはかなり珍しい部類でした。

特に目的も無かったので駅から近場の観光名所を探して見たところ、高杉晋作の終焉の地という場所があるようだったので歩いて行っています。

幕末の偉人として名高い高杉晋作。
実は晋作という名前は通称だったそうです。
こちらの石碑にある東行は文人としての「号」だとか。

大政奉還後、29歳の若さで肺結核で亡くなったとのこと。
墓はこの場所ではなく、東行庵というお寺にあるそうでした。
この場所は石碑以外に本当に何もない、ただの小さな空き地でした。

すぐ近くにあった神社にも行ってみました。

こちらは厳島神社ですね。
特に一之宮などではないんですが、

そこそこ規模のある神社です。

元々は平家一門が壇ノ浦の戦いの後に建立した歴史のある神社とのこと。

こちらの注目ポイントはこの大太鼓で、

なんでも奇兵隊が小倉城を脱出するときに城にあったこの太鼓を運び出して奉納したという話です。

少しブラブラと歩いてまた別の神社へ。

こちらの大歳神社は壇ノ浦の戦いの後、勝者である源氏、源義経が建立。

入り口にある大きな鳥居ですが、

こちらは奇兵隊のスポンサーだった商人、白石正一郎が奉納したものだそうです。

社格としては村社なんですが、ここもやっぱりかなり立派な神社で歴史もあり、今だと900年ぐらい。

こちらには奇兵隊が軍旗を奉納しているとのこと。
下関周辺はこんなかんじで幕末長州藩関連の史跡が多いので、歴史関連が好きな人にはかなり面白い土地じゃないでしょうか。
当時はあまり興味が無くて、軽く見る程度でしたが今ならもうちょっと楽しめそうなので、今度また行ってみようと思います!
以上、「過去旅」”高杉晋作 所縁の地” でした!
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